以前、職場のバイト君に、青春18きっぷで日本一周をしたと言う若者がいた。
彼から旅の話を色々聞いた時、
「それで、どこが一番綺麗だった?」と聞いてみると、
「四万十川です」と即答した。
曰く、山の中にある小さな駅を、アテもなく一人ポツリと降りて見た四万十川が、
彼の旅ではどこよりも一番の景色だったらしい…。
ふ~ん、そうか。
ならば私も一度、四万十川を見てみようと、旅をしたお話です。
3連休を作れたので、仕事終わりにその足で港へ向かい徳島へ。
帰りの船は夜明けに着くので、船で寝て、東京港からそのまま出勤すると言う、
職場発、職場帰りって強行スケジュールでした(笑)。
初めての船旅はワクワクしましたね。
四国へ足を踏み入れるのは初めてだったのですが、
私は若い頃から、松山の「一草庵」へ行くのが夢でした。
と、言うのも、私のヒーローに、こんな方がいます。
私は山頭火や山下清の様な、「放浪人」にちょっと憧れるクセがありまして、
山頭火が晩年を過ごした庵が松山にあり、
一度行ってみたいと常々思っていたんです。
で、念願の四国上陸の図。
ちょうど夏がやって来たくらいの季節でしたが、
すでに稲刈り終わってる田んぼがあってビビりましたね。
底知れぬ四国のパワーに面食らいます。
そして足早に室戸岬を経由して高知へ向かいました。
3日目の午前中には徳島港へ戻らなきゃ行けないので、
四国滞在中のルートはすごく悩んだのですが、
室戸岬って、台風が来て酷い時ばっかりテレビに映るもんだから、良い時見たいなと。
で、来てみて堤防の高さにビビりましたね。
さすがは勢力バリバリの台風を、毎度迎え撃つ最前線だけの事あるなと。
弘法大師だって穴ぐらに籠るくらいなんですから。
あと、温暖な気候も相まってか、
高知から眺める外洋がとても大きく感じたのを覚えています。
こんな大きな海眺めてりゃ、「そら竜馬も育つわな」ってもんです。
こちとら日がな三浦半島から海見ても、伊豆と千葉がつっかえてんだからよ。
鎖国を解く気にならないのも無理ないわな。
かくして高知の夜、一人酒場にくり出してコレ。
夜の高知は、その大らかな気風で、私の様な酒飲みには天国でした。
一人旅ではこの時間に土地の方から、ご当地あるあるなんか聞くのが楽しい。
酒場の店主曰く、「四国と言うのは愛媛に近づくほど良い人が増える」との事だった。
(私じゃないですよ、当地の人間がそう言ってたんですよ)
そして翌日、四万十川とご対面。
世の噂に聞く沈下橋を渡ろうとバイク降りて、橋に立った時は、
思わず息をのんでしまう美しさでありました。
なんか、独特な静寂感と大きな存在感が一緒になった様な…。
初めて感じるスケールがありましたね。
「…そうだ、あいつが言ってた駅に寄ってみようかな」
しばらく川を眺めて走りながら、松山へ向かう前に駅へ寄り道してみた。
してみた…んですが。
う~ん…アイツ。
もしかしてオレをおちょっくてったんじゃないだろうな(汗)。
シャレならシャレかと、念押して聞いておくべきだったかな。
あの小僧…。
まぁ…しかし聞いた通り四万十川は美しかったし。
うなぎも美味かったから、気を取り直して松山へ向かおう。
そしてそして急ぎ松山、とうとう念願の一草庵へ到着。
「ここがそうかぁ…」
日暮れに間に合って、つくつくぼうしが鳴いて、感無量でしたね。
建て替え等はされてるんでしょうけど、当時の佇まいは感じる事が出来ます。
バイクで旅するって「アタリ」ばかりじゃなく、
暑いわ寒いわ吹くわ打たれるわ、色々あるけど、
適当に苦労しながら進むのを、歩いて旅した時代の風情と重ねて楽しんでいます。
(なので私はライディングウェアを旅装束、ジューズは草鞋と呼んでいる)
そんな時代のヒーローとここで対面。
ガラス越しではありますが、山頭火の位牌に手向ける事が出来ました。
これは生涯の思い出ですね…。
良い意味で2度は行きたくない位の、特別な時間でした。
「暑い中へうへうと走ってきた甲斐もあるもんだ」って、松山の夜は宿から路面電車に乗って道後温泉へ。
翌朝は早くに松山を発って、高速路でフェリーに間に合うだけですからね。
山頭火も浸かった湯の中で、想いに更けたのは至福の時間でしたね。
「今度四国に来る時は、剣山で失われたアークを探し、オレのゴットハンドで歴史を変えてやる」
…と。
そんな四国路の思い出です。