近畿で2府1県が非常事態の解除らしい。
我らはまだ少し辛抱みたいなんだが・・・何か家に届くとか言ってなかったかな?。
・・・まぁ、別にいいか。
毎年春は富山へツーリングするのが、ここ数年の恒例だったのですが、
今年はこの騒動で辞めました。
そんな富山へ初めて行った旅の思い出です。
世が北陸新幹線の開通で、猫も杓子も「金沢!金沢!」と騒いでいた頃に、
「何かを忘れちゃいませんか?」
と、思い立ち、半ば当てずっぽうに出たのが事の始まりでした。
そしてかつて日本海側から内陸へ塩を運んだ千国街道を走破したいと思ったんですね。
ところが出発からひどい雨で・・・。
半日高速路走って安曇野インター降りた頃にゃ、メットの内装は雨が染みて、安物のレイングローブは使い物にならなくなって、散々でしたね。
まだ4月だから寒かったけど、千国街道に入り、この先にある小谷村を無心で目指す。
てか、ズブ濡れじゃどこか寄るのも気が引けて、嫌でも無心で進む事に。
そしてこの街道で、どうしても立ち寄りたかった所がありまして、それがコレです。
かつては関所もあった小谷村ですが、塩を運ぶ歩荷さんが宿にしてた建物を見学出来ます。
ここは牛車を引いてきた牛の牛舎と、旅籠が合体してる造りなんですね。
「車のままお部屋まで」って、アレの元祖とも言える建物です。
これを見てみたかったのです。
平日の、この雨で客は私だけ。
おまけにバイクでズブ濡れなもんだから、入り口で入場券売ってる爺さんに珍しがられましてね(汗)。
「どこから来たの?」
なんて声かけられつつ世間話したのですが、これがナント!。
爺さん現役時代は都心勤めで、住んでた家が、実家の近所だったもんでお互いビックリ。
信州の、こんな山奥でまさかの出会いでした。
横浜の隅にある小さな町だったから、子供の頃の私と、どこかでスレ違っていてもおかしくないほどで。
「あ、その食堂は、今もうなくなったんですよ、そうあの本屋も」
なんて地元の思い出話をして、懐かしそうにしていたな。
爺さん元気でやってるかなぁ。
建物は自由に入れて貸切状態だったので、ここでしばらく草鞋を脱いで休んでました。
「ふぅ~やれやれ」
と、カッパ脱いでタオルで顔を拭いつつ、ここで一息ついた時間を思い出しますね。
なんだかとてもノスタルジックな時間でした。
ちなみにこの小谷村は鉄拳の出身地でもあります。
・・・まぁ、それはいいか。別に。
「ではお元気で」
いよいよ初の富山県に入る図。
HALLOOOOOOOOOOっつ!富山ぁ!。
と、まる1日濡れて凍えて、もうやぶれかぶれに近いテンションでしたね。
ところでオレは何しに来たんだと。
しかしそんな思いは、雨上がりの翌朝に吹っ飛びます。
富山平野越しに見た立山連峰の圧景に、魂を売る事になるのです。
・・・あ、写真はネットから拝借しましたけど。
こんな綺麗に撮れなかったもんで、イメージと思って下さい。
3000m級の山なんて富士山しか見た事ないけど、
それが街と海の際まで壁の様に連なるのは迫力ありましたね。
で、雨上がりの帰路は快晴で、奥飛騨路も美しかった。
神奈川からだと北アルプスに遮られてる分、どうしても高速路と一般道を半々くらいになるのが、このルートの良いところですね。
海抜が高いトコを抜ける時は、まだ残雪もあって変化に富みます。
4月の終わりでも桜が見れる区間もありますし、
この時は神岡町でスーパーカミオカンデを探したり、上高地に寄り道したな。
そんなワケで、これ以来、毎年春には富山へ向かうのが恒例となる思い出話でした。
・・・さて、今さらまさかとは思うが、ちょっとポストでも覗いてみるかな。