今シーズン3度目の信州へ。
「ローメン」とは知る人ぞ知る、伊那市のご当地グルメらしい…。
もしかしてレミオロメンも伊那市の特産か?。(…いえ、山梨県笛吹市出身です)
時は遡る事1955年。
萬里店主・伊藤和弌(いとうわいち)と、地元製麺所社長・服部幸雄のホームタウン最強タッグがローメンを創作したそうな。
冷蔵庫がまだ一般的でない時代に、生麺の保存調理や、当時羊毛生産が盛んなこの地域で、副産物となるマトンの活用などに苦心し、死闘格闘大悶絶の末に編み出された、時代の逸品なのであります。
そしてこの最強タッグが何より粋なのは、この「ローメン」の名称使用を、地域発展を願い自由に許可した事で、誕生から65年を経た今では、様々にアレンジされたローメンを、市内で90店舗ほどが提供していると言う話です。
なんてー事をつべこべ言いながら中央道を進み、塩尻より木曽路へ入る。
この辺りを走るのは2度目かな…。
5年位前に「あゝ野麦峠」と、その場で言ってみたいだけの理由で、野麦峠走った時以来かも。
先日に続き今回もそうですが、街道の街並みは時代と共に変わっても、山並みと言うのはそう変わらんでしょ。
古の旅人も見てたであろう山並みを眺めつつ街道を進んでいると、タイムトリップした様な気分になるんだな…。
♪きそ〜のナ〜ぁ なかのりさぁ〜ん
♪きそ〜のおんたけさぁ〜んはナンジャらほい
ヨイヨイヨイ〜と、呑気に木曽節なんか歌って進んでいたら、何やら大きな門をくぐった…。
「あ…やべぇ…関所だ」
福島宿に入ったのでした。(ちょっと行き過ぎた)
そう言えばココ、中山道でもガチガチの関所がある宿場だったな。
今さら引き返して何か疑われても困るし…ひとまず関所へ向かう事に。
ちぇっ…今どき関銭かよ…。(いつの時代の話だっての…)
へい…あっしは物見の風来でござんして…武具など持っちゃおりませんので、どうぞお調べ下さい…。
「ではこれより何処へ参るか申せ」
へい…伊那へローメンを食べに向かう所で。
「…左様か、ローメンか、然らば萬里へ参れ、萬里であるぞ」
なんて問答があったかどうか知らないが、アラヨコラヨと木曽山脈を越えてやって来た中華料理「萬里」さん。
今ではローメンも、この「萬里派」と「うしお派」で、伊那市民の間に溝を作るほどらしい…。(さてはさっきの役人萬里派だな…)
私ゃ初めてですからネ。
ここはまず伊藤和弌さんが創作した「元祖」と言われるローメンを、萬里さんで頂く事にしました。
ほほぅ…これがローメンか。
では和弌さんいただきまーす。
と、美味しく頂きました。
食べ慣れてそうな地元の方を見てると、テーブルにある調味料をけっこうドバドバ入れて味変えするんですね。
私は酢を多めで、ごま油を足した感じが美味かったデス。
ま、考えみて下さいヨ、テレビ放送の開始とそう変わらない時代に、郷里を想って出来た料理ですからネ。
その想いが今日まで繋がっていると思うと、なんだか胸がいっぱいになる、初ローメンのお味でした。
次は「うしお」のローメン食べてみよう。
当地で話を聞く限り、汁なしタイプのうしおを推す人が多かったし…。
で、翌日の帰路。
高原路を目指すつもりが、残念ながら山の天気がイマイチ…。
なもんで、高遠から杖付峠を越えて甲州街道を行き、もう一つ名物を頂いて帰りました。
諏訪や茅野辺りじゃ有名なハルピンラーメン。
熟成味噌ダレと言うやつね。
こいつでお腹を満たして、「食欲の秋」と「行楽の秋」を満喫する旅となりました。
帰りは神奈川に戻った辺りから雨にも打たれ、ずいぶん寒くなってきた。
これで今年の遠出は終わりかなぁ…。
ぼちぼち路銀も貯めにゃいかん。
夏からGOTOもだいぶ使いまくったし、まぁいいか(笑)。
これでいいのだ。