2年ぶり2度目の湯田中温泉へ行ってきた。
相変わらずブルースな街だ。
昭和が置き捨てられた様でたまらない…。
あと100km近ければなぁ…と、つくづく思う。
さて、前回はネタ多めの旅でしたが、今回は高原路をひたすら走り、満喫してきました。
お天気も良かったんでね。
そして信越本線の終着、横川駅。
駅前のこちらで釜飯を頂きます。
なかなか風情のある佇まいですね。
ふだんはSAで釜飯食って碓氷峠を越えたつもりでいましたが、今日はこちらで腹ごしらえをして旧道を越えます。
力餅も付いてるし。
ノーマークだった味噌汁が凄く美味しかったw。
ちなみに、明治に東京と京都を鉄道で結ぶ時、最初は中山道ルートで計画が進んでたのですが、それを阻んだのが、難所である碓氷峠でした。(その先の和田峠だってけっこうヤバかったと思う)
「いやマジ無理っしょ…大井川に橋かけた方が早くね?」って、今の東海道ルートに変わったと言う話…。
そんな難所を越えまして、宿場で一休みしようと寄った追分宿。
この宿場、寄ってみたかったんですよね。
「追分」とは分かれ道の事ですが、まんま宿場の名前になってて、その追分に立ってみたかった…。
これより右は北国街道、左は中山道の追分。
私ゃ北国街道を進むので、右に停めてパチリ。(パチリも、もう死語じゃねえか…?)
追分宿では「おたくどちらから?おたくはどちらまで?」なんて、旅人どうしの話しもはずんだのかな…。
この後は浅間サンラインから菅平へ登り高原路を満喫。
山から須坂へ降りて、北信濃くだもの街道。
ツーリングと言うより森林浴と言った方が近かったかもな…。
ここを囲む山並みも綺麗なんですよ。
宿の駐車場から望む、妙高戸隠連山のシルエットも美しかったね。
バイク降りたら、なるだけ早く身体温めると疲れや痛みが軽くなりますから。
ゆっくり湯に浸かり、しっかりストレッチして身体をほぐします…。
「21時以後は、お風呂は宿泊者様だけとなります…今日男湯はお客様だけなので、泳いで頂いても大丈夫です」と、宿屋の主人は言っていた…w。
…さて。
整いました。
さぁ飲むぜ!風呂上がりね!。
駅近くの「串道楽」さんへ。
瓶ビールが633(大人の義務教育)なのもポイント高し。
こちらはお蕎麦屋さんがやってる居酒屋なので、シメに手打ちそば。
お母さん…コレで焼酎割っていい?
と、蕎麦湯で焼酎を割って完璧に仕上がった。
で、カラスがカァで夜が明けて…。
次の朝も妙高戸隠連山が綺麗に見えた。絵に描いた様な五月晴れに心が踊る。
ここから山を駆け上がり、志賀草津高原道路を抜けて、草津からは、初めての嬬恋パノラマラインを目指します。
横手山に近づく頃、左手に絶景。
善光寺平を挟んで妙高戸隠連山と、その向こうの北アルプスまでが、端から端まで丸見えです。
こりゃ…袋とじモノじゃないか…。
と、息を飲む。
雲一つなく北アルプスを見渡せるのは、色々条件揃わないと無理ですからね。
そしてもはや嬬恋パノラマラインが、半分どうでもよくなりつつ、定番の渋峠。
エンの字よ、この国で国道を走る限り、ここより高いのは空しかないんだぜ…。
前来た時は雨だったからね、今回は存分に高原路を楽しんだ。
草津まで降りてひと休み。
群馬に入ったし、ひもかわうどんで温まる。(地場産の舞茸がうまい!)
2000m越えは寒かったしね…。
さて、この後はお待ちかね、初の嬬恋パノラマライン。
ここからは浅間山が今日はクッキリ!眩しいぜ。
広域農道ってこんなに凄いのか!という、浅間の麓に広がる農耕地を抜けて行きます。
いや、名道と言われるのが良く分かりました…お天気にも恵まれて最高でした。
嬬恋パノラマラインの南ルートに入り、今まで越えて来た山々を振り返る。
近くへ来てもお天気イマイチで、なかなか足が向かなかったから、この日は生涯の思い出になるだろう…。
さて、道中も軽井沢に入り、最後の目的地へ。
浅間記念館。
ここまで来て、浅間火山レースを語らずに帰れまい…。
いいかいエンちゃん、ここは日本の二輪界が黎明期にだな、浅間…山…え、え?。
…休館日。(これだから平日ライダーは…)
しかし、ただで引き返してたまるか、と、やって来たのがココ。
浅間火山レース場跡地の、入り口。
入れないのは分かっています。でもこの場に立ってみたかった。
それは、ここに立って、故・高橋国光さんを追悼したかったのです。
今年の3月に亡くなられましたね…。
国さんが、昭和31年に出来たここを走ったんですから、死んでなくても生き仏みたいな人だったな。
私がモータースポーツに興味持った頃には、すでにレジェンドと呼ばれてましたが、「日本一速い男」がいつもカリカリしてる横で、温和な笑顔を浮かべてるのが印象的でした。
ル・マンへ挑戦する時は「国さん何位だ?」って、いつも応援してました。
私の住む街には、かつて「追浜ワークス」と言う日産のワークスチームがあって、四輪に転向した国さんが所属してました。
若き日の国さんが近所を歩き、もしかしたら一度くらい実家の寿司を食べたかも…とか、勝手に親しみを覚えたものです…w。
カッコ良かったよナァ…アドバンポルシェ…なんて故人に想いを馳せつつ、浅間山を後にしたのでした。
おしまい。