一夜明け…。
少しはバイクブログらしい絵ズラを稼ごうと、湯田中から定番の志賀草津高原路へ。
山を駆け上がる前に振り返ると、夏の戸隠連山に見送られている様でもありました。
また来年かな…。
じゃ、またな。
ここからの高原路はもう涼しいったらありゃしない。
ぷーっと、横手山で深呼吸。
この後は、またあの湯釜の様な道走って帰るワケですが、ひとまずそれは忘れて楽しもう。
明治あたりに日本へ来て、死に物狂いで避暑地を探した外人の気持ちが分かる気がした…。
とりあえずココで写真撮っておけば、バイクブログらしくなる渋峠。
頼むからオレが通り過ぎるまで静かにしてくれよ…と、祈って走る白根山。
まー気持ち良かったですわ。
ここから海抜は下り、徐々に気温も上がる。
草津から六合村はワインディングを楽しんで、やって来た八ッ場の道の駅で昼飯を食う事にする。
道の駅のすぐ隣は民主党の大臣が来て、やめるのやめないので騒いでたのが懐かしい八ッ場ダム湖。
以前来た時はまだ水を溜めてなく、水没する集落跡や吾妻線の線路なんかが橋の上から見えて、ちょっと物悲しい気持ちにもなったよな…。
喫煙所の隣でiQOSのテント張ってたおじさんが地元の方だったので、水没した川原湯温泉の話かんかを色々聞けました。(今は移設されてます)
「私が生まれた頃からずっとその話ばかりでした…」と、嘆いていたのには少し同情したけど、今はホッとした様子にも見えた。
着工まで実に50年を要した八ッ場ダムですが。
結局のところ、いくら反対したところで、一度候補地なってしまうと改築も建て替えも出来ないから、集落はどんどん寂れて行く一方に。
やがて温泉郷も人が寄り付かなくなったのだとか。
最後は立ち退く以外に選択肢はなくなったのだと言う事でした。
実は…私の実家も開発で立ち退いたんですよ。
なんてお伝えして、アレコレ互いの経験を「あーあるある」なんて話しあう。
多少の事情は違えど、親族がこう言う時に揉める事は、大体どこでも同じだった…w。
過ぎてみれば、笑い話にも変わる。
いや、笑い話に出来たのがお互いの慰めになっていた気もする…。
そして諸行無常とはこの事なんだろう。
さ、では最後は夏らしく締めくくろう。
八ッ場からしばらく進んで、ここは大戸の関所跡。
関所と言うのはたいがい、破った人用に刑場や獄門台が近くにセットアップされてるもんですが。
こちらの関所も近くに刑場跡があるので、ちょっと肝だめしに行ってみる。
…そうです。
この関所を破って、ここで磔になったのが国定忠治なのですよ。
「赤城の山も今宵が限り…」ってやつ。
古墳と違って相手が侠客だと、ちょっと緊張するな…。
別の意味でも怖いぞ…。
奉納された燈篭や石柱なんかみると、ナン代目◯◯とか◯◯一家なんて、物騒な文字が刻んでありますが。
恐らく、国貞忠治から受けた何かしらの恩を、今の時代まで継いでいるのではなかろうか…。
悪党と言えばそれまでかも知れないが。
恩と義理を通す為には命も惜しまず、時に弱きを救う義侠心と言う物が、大衆に支持されるのは分かる。
法の隅で泣いてる庶民は、いつの時代もいるものだから…。
あの…親分、コンプライアンスってご存知ですかい?。
こんなバカな事を聞いたせいか、この後、前橋に差し掛かった所でクラッチケーブルが外れるトラブルに遭う…。(GSで工具借りて直した)
たぶん親分の機嫌を損ねたんだろう…。
みなさん、こちらへ来る際にはくれぐれも不作法のない様にお気を付け下せぇ。
ただでは上州を出れなくなりますぜ…。
では、ごめんなすって。